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普門寺のお葉付き銀杏

普門時の銀杏です。見ごろは1週間前だったようで、今は葉っぱがずいぶん落ちてしまいました。
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この銀杏は「お葉付き銀杏」とも言われ、町の植物としてシンボル的な存在です。
この銀杏にまつわる昔話があります。

今から500年以上前の文明年間、上三川城主の横田綱親は、ある晩夢を見ました。
それは、敵の大将と一騎討ちの末、命を落とすものでした。
夢から覚めた綱親は、自分の行く末を見た気がして震え上がりました。
戦国時代のこの頃、各地で合戦が繰り広げられ、綱親も古河公方の命を受けた主君の宇都宮正綱とともに、各地を転戦していましたので、正夢になるのではと考えると心細くなりました。

ちょうどこの頃、上三川城では、夜更けになると銀杏がうめき声をあげて泣くとの噂がたったり、城中にも不思議なことがおこり人々の不安がつのり、綱親も不安な日々を過ごしていました。
そんなある日、上三川に信俊という僧が訪れ、人々に慈悲を施していることが、綱親の耳に届きました。
綱親は信俊を呼び、銀杏の木を供養するよう命じると、承知した信俊は供養をし、銀杏を切り倒しました。
すると中から三百数十匹の大蛇が嬉しそうにぞろぞろと出てきて、姿を消しました。
そして、これを境に、異変が途絶えたので、綱親は信俊に命じて、銀杏の木のあったところを切り開き、数々の戦さの死者を弔うために普門寺を建立しました。

それから5年後、綱親は古河公方足利成氏の命令で、主君宇都宮正綱とともに上州川曲に出陣し、敵の豪傑上杉憲忠と一騎打ちの勝負をしましたが、
以前に見た夢の通り、無念の最期を遂げました。
上三川の人々はたいそう悲しみ、綱親を丁重に葬りました。

この後、以前切り倒した銀杏の切り株から出た芽が成長し、その葉先に実がなる珍しい銀杏が育ちました。
人々は葉先に実がなるということは、綱親が極楽の世界に生きており、信俊和尚も見守っているのだと考え、
この銀杏を「お葉つき銀杏」と呼ぶようになりました。
その後、枝の付け根から、多くのコブが垂れ下がり、この銀杏に願をかけると子宝が授けられ、丈夫な子どもが育つという評判がたち、
「子育て銀杏」とも呼び、参詣者が後を絶たなかったということです。
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